まつばらの民話をたずねて

私たちの暮らしや生活様式、子どもたちの遊びなど、時とともに変わってきました。その月々の生活や行事など、昔はこんなことがあったのかと、今では懐かしいと思う行事や遊びなどを紹介していきます。

1月の生活

睦月たこあげ1月のイメージ

 昔の松原のお正月は、行基七墓参りから始まりました。今はもう七墓参りをする人もなくなり、神社参りになっています。近くの氏神様に参った後、受験生のある家は三宅神社や道明寺さんへ、その家庭ごとに藤井寺、橿原神宮、春日大社などへお参りに行くようになっています。

 しかし、正月と言えばなんと言っても「とんど」でした。たいていの古老が、目を輝かせて語る「とんど」とは、小正月の夜に火の神様を迎えて松飾りやしめ縄を燃やして無病息災を願い、厄を払い、煙の流れやとんどの倒れる方向で吉凶、豊作不作を占いました。

 とんどの火が勢いづいて燃えると、青竹のはじける音がぱちんぱちんと鳴り始めます。そこで「天筆和合楽」と書いた子どもの習字を、竹笹にくくりつけてとんどの火の中へ入れます。こうして燃え上がる炎に顔を真っ赤に染めて、大人も子供も「もっと高こう上がれ、高こうあがれ」と声を張り上げます。炎が舞い上がるほど習字が上手になると信じて咽をからしました。

 とんどは、その年の当番で「めんばん」と呼ばれる人が、お宮さんで青竹を求め、とんどの行事をする田んぼで大人たちによって組み立てられていきます。子どもたちは「おばはん、とんどの柴おくれんか、1把か2把か3把か4把か、しぶいかか(母親の意味)ほりだせ、あまいかかうちいれ」と唄いながら藁を集めてまわります。組み立てが終わる頃には、星も二つ三つと輝き始めます。こうしてとんどの用意が出来ると、子どもたちは再び「とんど燃やすぞとんど、とんど燃やすぞとんど」と、村中をふれ唄を歌って走り知らせます。その声を聞いて村人たちが、とんどの行われる田に向かって集まってきます。こうして、いよいよとんどの火祭りが始まるのです。

 まず、この祭りの前座を子どもたちが務めます。これが火合戦です。暗闇の中で火のついた藁把を高々と差し上げて走り巡る火付け役と、それを消そうとする火消し役との子どもたちの合戦の活躍は荘厳であり、かつ雄大な眺めでした。

 こうして始まったとんどは、次々と家々から持ってくるしめ縄などの正月ものや子どもの成長を願って奉納する書き初めなどで、天まで届くの言葉通り、炎が天をこがして、やがて終わりの時がやってきます。村人たちは、とんどの火種で焼いたみかんを食べると風邪をひかないとの言い伝えを信じて、炎が静まると家族の数だけみかんをとんどの火の中にほりこんで焼いて、火桶の中に火種と一緒にいただいて持ち帰ります。昔から、この火種で餅を焼き、この餅を小豆がゆの中へ入れて食べると災厄にあわないと伝えられています。

 また、正月の雑煮は小芋、人参、大根、しらそ(豆腐)に餅でした。重箱におせちもつくりました。今でも上田地区の旧家では、重箱でなく大皿に七色の食品で飾る松原の伝承料理を作っている家庭もあります。正月、七日正月、15日の小正月は小豆がゆを食べ、火種はとんどの火種を15日まで、ずうっと消さないように守っていました。燃料は豆がらの茎を使っていました。本来の仕事始めは10日過ぎてからですが、4日ごろから、田の見回り程度の仕事をして食事も通常の麦飯になったようです。藪入りと言って若嫁さんが、実家に16日に帰り、20日を目安に嫁ぎ先に帰る日も決まっていました。

 今はもう、懐かしい思い出になっています。

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)

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