まつばらの民話をたずねてへようこそ

松原で生まれ育った、昔から伝えられている民話をご紹介します

 

三ッ池の狐

松原の民話第5話(2002年12月)


その一、松原の狐達と三ツ池のおよし狐

 古い昔のこと、松原には沢山の狐が住んでいたそうです。今の天美の踏切のあたりに出る狐は面長の江戸美人で、雨が降れば必ず人間の姿になって現れ、男の人が通ると「どうぞお入り」と色香を漂わせて、傘を差し出すのだそうです。 男たちは「ハハーン狐だな」って思いつつも、なぜが狐について行きのつぼにはめられたり、土産の寿司を盗られたりなどの悪戯にあった話が沢山残っています。

 今の阪南大学裏あたりの狐山の狐は、毎日の掃除が日課で、村人が通ると礼儀正しく挨拶をするので、油揚げをポット投げてやると飛んで出てきて村人の姿が見えなくなるまで、ペコリンコと何度も何度も頭を下げて見送っていたそうで、とても礼儀正しい狐だったそうです。

 下高野街道沿いにある籠池の狐は、奈良のクヌギの葉を頭に載せて、クルクルと三回まわると、摩訶不思議にも着物の裾をすねまであげた可憐な少女に変わり、池のひしのつるを頭に巻くとベラベラかんざしとなり、土手に咲く白粉花の花の汁は口紅となるなどして、化粧美人であったと伝えられています。

 三宅の入り口にある一里塚の耕助狐は、毎朝、大和川の河川敷にいって、畑を開墾するのが日課でしたが、しばしば前日に開墾した場所を忘れてしまい、毎日新しい場所を開墾していたそうです。同じ三宅で、土井の川の音吉は、働き者で村人の手伝いをして、お駄賃の油揚げや稲荷寿司をもらって生計を立てていたそうです。また松原の狐は、それぞれ名前を持ち人間の隣人として村人と共存していた時代がほんのちょっと前まであったようです。

 さて、長尾街道沿いに三ツ池と呼ばれる大きな池がありました。ここに「およし狐」と呼ばれる、それはまばゆいばかりに美しい狐が住んでおりました。松原の狐は、松原で生まれて奈良で育ち、成長すると、松原に帰って生活を営むのだと言い伝えられておりますが、たいていが本籍地と住民票をもっておりました。ところが「およし狐 」は持っておらず、高井田の狐と言う人もあれば、信太の狐と言う人など色々ありましたが、村人たちはよそ者狐として扱う事もなく仲良く暮らしておりました。およし狐は、人間に化けたときは必ず赤い笠をかぶっていたそうです。男たちは赤い笠をかぶった粋な女性を見ると、「べっぴん(美人)の姿を見せてくれー」と頼むのですが、およし狐は声を聞くとサッーと消えるので、いつの間にか「幻美人」と呼ばれておりました。

 そうしたある日のこと、長尾街道を赤い笠の狐が、堺の塩湯場へ向かってトコトコ歩いていく姿がありました。その夜のこと、塩湯の茶屋では、奈良の呉服行商の荷物から赤い縞の入った奈良木綿の着物が一枚なくなったと大騒ぎでした。その騒ぎを聞きつけた茶屋の主人は「三ツ池の狐も人間ならば買ってもらったことにかわいそうなことよー」と外へ向かって大声で言いました。その声が届いたのか、長尾街道を走っていた狐が振り向き、頭を何度も下げて松原へ向かったと言う噂が長い間話されていたそうです。 

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)