まつばらの民話をたずねてへようこそ

松原で生まれ育った、昔から伝えられている民話をご紹介します

 

弘法大師と金気の井戸(高見の総井戸)

松原の民話第9話(2003年2月)

 水の少ない松原では、生活用水の総井戸や田畑の隅に農業用水の井戸がたくさんありました。長尾街道沿いにある総井戸としては、布忍橋西詰南側と、この地より300メートルほど西北にある称名寺に、まだ総井戸が保存されています。

 また松原では、村人と僧がおりなす伝承においては、行基伝承が中心になっていますが、その中にも少ないですが弘法伝承も残っています。竹ノ内街道沿いにある弘法様と呼ばれる無人の寺は、人々の民間信仰の場として親しまれていて、行基伝承の形態とは少し違った内容で伝えられています。今回のお話は、弘法伝承として全国に分布されている口承とよく似たお話です。

 ずうっとずうっと昔の平安時代の初めのころでしょうか。弘法大師という大層偉いお坊さんが、日本中を旅して、病で苦しんでいる人には優しく治してあげ、橋のない川には橋を架け、道を造り、世のため人のためにと働き、大層人々に尊敬されていたそうです。

 ある時、弘法大師が松原のほうへ向かって歩いていた時の事でした。大師は咽の渇きをおぼえたので、一杯の水を所望したいと思い、一軒の農家の前にお立ちになりました。「ごめんください。旅の僧ですが一杯の水を恵んで下さい」。
すると中から一人の娘が出てきて、「まあ、なんと汚い坊さんでしょう。お通りなさい。お通りなさい」と言って、みすぼらしい姿を見ると、ピシャリと戸を閉めて追い払ってしまいました。

 大師は仕方なく、また次の農家を探して「ごめんください。決して怪しい者ではありません。一杯の水で咽の渇きを潤わせてください」と頼みましたが、ここでも「この乞食坊主。お前になどやる水はない」とまたも、棒を持って追い出されてしまいました。大師は、あの家、この家と家の軒先に立ちましたが、どの家もみすぼらしい姿をした大師には、一滴の水も分けてくれる家はありませんでした。仕方なく、どこかに畑の井戸はないものかと探し求めているうちに、松原の高見の里までたどり着き、やつとのことで、水にありつきました。大師は一口飲んでその苦さに驚きました。赤茶色の金気水で、とてものこと飲めるものではありませんでした。

 そこで、手に持っていた錫杖で、水を3×7=21回かき混ぜて、ポンと叩くと水は濃紺に底深くコンコンと湧く清水となり、味は甘茶でもなめるような美味しい水にかわつていたそうです。けれども不思議なことに、水を飲ませてくれなかった農家の井戸水は、すべて赤茶けた金気水になったそうです。

 松原の人々は、必ずこのようなお話のあとに「だから決して人の身なりの良し悪しで、人を判断してはいけないよ」と、お話を締めたと語り伝えられています。

 さて、もう一方では、次のようなお話も残っています。

高見の里付近はもともと水の便が悪く、この地を訪れた大師が村人をあわれみ、錫杖で地面を叩き清水を湧かせた。それが高見の里に現存する総井戸だと言うお話もあります。どちらにしろ、口承とは別にして、この総井戸は江戸時代後期のものとされています。

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)

高見の里の総井戸の写真