まつばらの民話をたずねてへようこそ

松原で生まれ育った、昔から伝えられている民話をご紹介します

布忍で聞いた耳袋-3

5、狐や狸の様子いろいろ     松原の民話 第74話(2007年6月)


5、狐の様子いろいろ

(1)狐の姿と足音


 狐は此の辺りをよく走っていましたわ。小谷工務店がなくなったころやから今から4~50年前で、私が18~9のころですわ。(昭和59年採集)
うちの藪(話者の持ち藪)があって、ここの藪(旧庄屋宅)へ来るのに、池の向こうを通って来てましてや。
小谷住宅、それに高木の住宅なそれら設置(建設)していたころに見た狐ですわ。しっぽが大きいて口がとがって、目が上がってそんなんですわ。
足音はな、狐が高下駄はくはずはないのに、音するのですわ。

(2)狐火、狐の嫁入り


 狐火は、子供の頃にはよく聞きました。布忍川(現西除川)で狐が並んで口を開けてベロベロ、ベロベロって舌を出す姿が、狐の提灯行列のようだったって聞きました。(語り手より十年ほど年上の明治20年代~30年代前半の高齢者は実際に見たと言っています。怖かったとも言っていました。)
青いボッとした火なら見ました。東代の藪おまっしゃろ、そっから青い火が出たのは、私らは見ました。
狐の嫁入り、あんなもの雨が降ると言いよりましたなぁ。それだけですわ。

(3)高橋の向かいの狐塚と松の葉


 高橋の向かい側に塚がありました。五つも六つも穴があったのを知っています。
そこのところに巣(狐の住処)があったのでしょう。子供と(親狐が子狐と)遊んでいる姿をよく見ました。私はしてませんが、スクド(ソクド?)を狐穴へほりこむと驚いて狐が逃げる悪戯があったそうです。見てないので、どないな姿で逃げるかは知りません。

(4)大和の狐


 大和の方からも狐がきてましたなぁ。そうそう、そこに(高橋の向かいの狐塚)来るのやと思います。冬になると大根の収穫の頃にこちらへ来て、春の菜種の咲く頃に子供を産み、成長してまた大和へ帰っていくのでないでしょうかなぁ。そこまでは見てましぇんけど、狐が(狐塚に)居てるのは見てましたけど・・・。

(5)三里山の狐


 三里山へ自転車で行きましたんですわ。坂やさかい(坂なので)自転車に乗れしませんねん。ほなシュー、シューって昼でも暗いのに、夜はもっとくらいですわ。谷のシャワシャワしか、聞こえしまへん。スピードがあるよって、シュー、シューって聞こえるんですわ。

(6)マッチをする。狐があぶらげをとる方法


○(夜の外出の時)子供の頃「マッチもっていけ」って言われますわなぁ。けど、マッチすって歩いとれれしましぇんで。こける(転ぶ)ゆうか、なにしかあのやまのとこ(場所)を通ると、こけるんですわ。こけるとスーと(あぶらげを)盗っていきよりますんですわ。何もない、石もないけど、こける。

○たかはしのとこな、あこになここいらの人はみんなあぶらげを買いに行きますのやが、あぶらげ買いに行く時は「日が暮れるまでに早う行ってや」って子に頼みますのや。今の人には信じてもらえないと思うけど、こけるはずないのにこけるんですわ。私も経験しました。ほんとうにおばちゃんが道をきれいに掃いてますのやで、それにこけるのです。気が付くと(あぶらげを)盗られていますのや。信じられませんが、むかしはこんなことよくありましたぁ。(これは河合の耳袋からです。)

注釈
うちの藪からここの藪・・・高木から現布忍神社西門近く
狐火・・・「狐火は其の口気を吐くといへり。或いは撃尾出火とも書けり。その火青く燃ゆといへり。鬼燐也。」(倭訓栞より)
スクド(ソクド)・・・松の葉のこと。「すくど」か「そくど」なのか発音がよくわかりませんが、松原では三千円を「しゃんじぇんえん」という発音があります。どちらも土地の発音です。
狐塚・・・松原の日常生活の中では、たくさんの「狐藪(きつねやま)」「狐塚」と呼ばれる所は数多くあります。いつも言っていますが、松原の人々にとって狐は隣人(となりびと)ですので「三ツ池のおよし」「一里塚の耕助」のように名前を持っていますが、塚の狐は名前を持ちません。そのかわり血統を持っています。「布忍の塚の狐は高井田(阿倍野と言う人もあり)、布忍、信太の三兄弟狐」「阪南大裏の狐は大和の狐」と言った形です。ついては、松原では生活用語として民間で狐塚と呼ぶ塚の他に狐塚古墳跡の指定地があります。高さ2~3メートル、周囲30メートル位で、古墳時代の前方後円墳が天美西地区にあります。 「河内名鑑」に「塚本の狐、これは布忍に塚あり。泉州信太の狐は女、塚本の狐は男。信太へ通いけるとぞ。両所は狐の名所なりと記せど、今 その後を知らず」とあります。

※「耳袋」では歴史の背景なども含めて氏、名前、ニックネームの表記もあります。御理解下さい。

 この時代は名前が個人名としての役割に絞られず、象徴としての役割もしていました。
 例えば布忍には二軒の下駄屋さんがありましたが、(一軒は昭和60年代もまだ鼻緒も下駄台も好みを選びその場ですげる、昔ながらの販売をしていました)この近くへ行く時、町名を言わず下駄屋の向こうの○○さん。 例:森村病院前の公民館という言い方です。
 また浅香のせんぞうは狐撃ちの名人ですが、せんぞうも他にも存在しています。似た話ですが「堺のせんぞう程の名人」の意味は、「せんぞう」イコール「狐撃ちの名人」という形で名前が重複していると思われます。その意味で表記致しました。
 土着民話(この土地で生まれ育ち語り継がれた民間の話)ですので、土地の人達の言葉、用語のようなものであって、氏名がその家の歴史とは関係なく、口頭伝承上の用語として、受け止めをお願い致します。

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)