まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月も成人についての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。

第46回 青年団-3 


 青年団は成人の儀式としては異論があると思いますが、前にも申しましたように徴兵検査、青年団を男性の成人式、成人への門と考えて紹介しました。また、青年団の組織については松原以外の事例も併せて、戦争時代から戦後を中心に全国の青年団の姿をピックアップして紹介しました。

 つきましては、今回で青年団の章を終えるとしまして、第45回で申しましたように松原の青年団の予定でしたが、青年団採集の時に、興味を引いた若者の姿の紹介と致します。松原の青年団にしぼり、青年団の採集をすればするほど、11歳から27、8歳位までの未婚者の青年達の姿を数ヶ月の採集で紹介するには、その時代を過ごした若者達へ対する冒涜に思えました。

 採集を深めるほど青年団松原の若者の青春を感じ、生きるパワーをここに見ました。中には土地の風習で、男性を楽しませてくれる館へ先輩に連れて行ってもらう風習もあれば、「よばい」と呼ばれる風習があったらしいとの青年の姿の語りもありました。一番楽しく活気のある活動は村落の奉仕活動ですが、この部分はどこも同じ形態でした。地区内の清掃(道作りと言って、道の両側にある溝の掃除など)、祭り、盆踊りなどの村落行事等です。

 ところで、人生の基礎を築いた巨大組織はここで終わる程度の組織でないと思いました。「松原の人々の一生」の中で一番燃えた青年団時代はもう一度紹介の機会をもちたいと思います。今回は簡単な紹介になるのでお許し下さい。「松原の人々の一生」の中で、例えば、男性の青春期「青年団」「職業の見習い」など、また女性の青春期「処女会」「機織り」「行儀見習い」などのように、土地の風俗風習として位置付けに?の部分の項を付加部分で持ちたいと思います。どうか宜しくお願いします。

 さて今回取り上げた戦中、戦後時代に生まれた青年達の姿で一番心に残った語りが青年団奉仕活動の一つとして進められた尋常小学校卒業(10歳)で社会人となった生徒達の夜間学校です。

 次にあらゆる奉仕活動もしましたが、その是非は別として、風俗ですが「夜ばい」の話です。また、青春のすごさですが、戦争の中で青年団の位置と、音楽が持つ力です。小説「ビルマの竪琴」を彷彿させる語りもありました。戦中戦後期の青年団採集であったせいか、青年団採集のこぼれ話も採集できました。異種類ですが次のような話があります。

青年団と青春時代

○小学校へ行かないで中学校へ進学した男    大阪十三。 男性。 昭和9年生まれ

 青年団のことは知らない。昭和16年4月に国民学校へ入学。卒業証書には従何位の文字があった。昭和20年疎開から帰った。ずうっと食糧難の時代だった。戦争が終わった時、野球が出来るようになった。力一杯嬉しかった。これが、僕の戦中戦後です。だから青年団のことは知りません。

 当時は小学校のことを国民学校と言った。国民学校は6年間その名があった。僕は国民学校へ入学して国民学校を卒業しました。だから僕は小学校へ行かずして中学校へ進学しました。僕が中学へ進学した年から新制中学となった。旧制中学は5年で卒業でした。中学を3年で卒業したのは僕たちからです。だから息子に「お父さんは小学校へ行かないで中学へ行ったのだ」と自慢していました。だから青年団は名前しか知りません。

○「よばい」と赤子    和泉市。 男性。 80歳前後

 若い頃の話です。まだ青年団にいた頃ですわ。「よばい」へ誘われたことがあります。行きませんでした。

 ある時、大雨で川が決壊するほどの雨が降ったことがあります。その時赤子が流れてきました。震えました。何度か誘われたけどその時の赤子が目の前に浮かんで・・・。

 けれど、その時の赤子は絶対に「よばい」で出来た赤子ではありません。あの頃「よばい」を行うには、行う過程というものがありました。だから断じて違うと言えます。過程があるから、「よばい」に行くとたいていその子と結婚して、皆で祝いましたから。まぁ、心が通じる所へ行きますわなぁ。だから雨戸のはめ込みを外していたのですわ。

 きっと、この時代を知らない人には理解できないと思いますが、女性を襲う行動ではないのです。過程があると言ったように、女性が精神的に傷つき、病院や警察へかけ込むような形とは違います。

 青年団時代は楽しかったですねえ。仲間でなんでもまっすぐに突き進みました。

 さて、よばいは「夜這い」と書きます。だからその頃の時代背景やその土地の風俗習慣を知らない現代の人は漢字から想像する「夜這い」がそれぞれにあると思います。青年時代に通過する過程の一つに「よばい」もあったと理解して欲しい。当時、漢字表現のイメージとは違って秩序がありました。

 20余年程前の採集ですが、それによると、娘が適齢期になっても誰も「よばい」に来ていないと、母親は心配したとあります。「よばい」は婚儀に至るまでの過程で、諸々の過程を先輩達の指導、仲間の手助け等を得ながら「よばい」という通過儀礼に相当する手順を踏み婚儀へと進む形態もあったと見られます。

「よばい」も付加の項にて採集の事例で御理解頂きたく思います。不適切有りましたら、青年団年齢期のエピソードとして御理解下さい。


大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)