まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月も引き続き産後のことについての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。

 

産後の忌みと出産児の儀礼(忌明けから宮参りまで)-3
「厄年の出産」

 人の一生における儀礼は神仏に対する儀礼であり、人と神仏との交わりの時であり、神仏の呪力によって守られるための願いの場であり・・・等々と神仏に対して畏敬の念を持ちながらも常に隣人(となりびと)としての場において行われる神仏と個人及び人々との交わりの時と考えております。それ故にその土地の儀礼は、その土地に住んでいるからこそ、それぞれの神々を理解出来るのであって、その土地に住んでない人々にとっては理解出来ないところがあります。儀礼について語って下さる人々は日本民俗信仰の概念を頭に入れて語るのではなく日々の生活の中で、松原の各々の家が持つ習俗習慣を通して体得したものですから同じ松原に住む語り手でも、それぞれの家庭の歴史を含めて少しずつ異なる部分もあります。

 ついては松原で採集した語り手達にとって、産後の穢れと関係の深い各々の家で祀っているお荒神様とは(神社は別)荒神さん、三宝荒神さん、産神様の名前が語り手によって重複します。語り手達から受けた私の見解ではお荒神様は『女性の神様』であり『台所の神様』であるようです。三宝荒神さんはお荒神様と同じ神様であるけれども、『台所の神様』『おくどさんの神様』であると共に『産神様』でもあるのでないか、そしてそれぞれ荒神さん、三宝荒神さん、産神様はどこかで共通しているが、それぞれの神の祀り場所が違うのではないかと学問の見解は別として、語り手達の言葉から解釈しました。ともあれ毎日の生活の中で、女性を守って下さる神であり、台所の神様である尊い神の前に穢れた身では失礼であるという考えが忌み明けまでの慎みの生活の形態が生じたと感じました。

また、『穢れ』については、松原では出産後の女性と多くかかわって語られております。何故これ程にお産が穢れているのか理解出来なかったので、近畿民俗学会の出席者に尋ねた所、元々は血盆経という経典に、『女性は血を流すので穢れている』『死後は血の池地獄に落ちる』などの考え方が説かれているそうで、それが影響しているのだそうです。

 その他に厄年出産という忌みがあります。厄年は一生の内に何度か訪れる俗信で、後でも色々な形で述べますが、この厄年出産は民間習俗、信仰では済まされないものを採集して感じました。そしてまた、今でも風俗習慣俗信が残っていることに釈然としないものがあります。しかし例え俗信であったとしても、無情に思えること、差別や蔑視が著しいもの誤解を受ける危険があるものなど、不適切なものが多く如何に書くべきか迷い著しいものは省きましたが、捨て子の用語等々は、土地の人々が長い生活経験と習俗風習の中で伝えられた俗信であり、言葉として流布したものとしてご理解下いますようお願い致します。

――厄年とは陰陽道を源流とする民間習俗ないし民間信仰の一つだそうですが、全国に分布しているようです。以下の厄年事例は明治、大正初期生まれの人の採集は俗信の度合いが強すぎるので省き大正後期以後に生まれて松原に住居生活の人々からの採集です――

女33歳で子供を産む。とは

1、役立つ(厄立つ)と言って喜び大切にする。 2、男児が生まれると一層喜ぶ。 3、黄金を産む。 4、親の厄を背負って生まれるので大切にしなくてはいけない。 5、その家の厄を背負う。 6、その家の厄を取る。 7、子供を産んではいけない。 8、子供は育たない。 9、捨て子の風習もあるが、一般には男42歳の厄の風習。

男42歳で子供が生まれる。とは

男42歳で男児、女33歳で女児がうまれた時お七夜(旧六日だれ)の夜に巻き蒲団にくるみ、行李や籠に入れて四つ辻に捨てて振り返らずに帰る。あらかじめ頼んでいた拾い親は箒とちりとりを持ってちりとりへ掃き入れる真似をする儀礼が終わると、連れて帰る。明くる日に新しい晴れ着を着せて土産に餅など持って子供の生家へ連れて来てくれる。拾い親は名つけ親となり、子供は正月には必ず挨拶に行く。また子供は二親共に母と呼び、実母の所で生活しているが両家の家族を兄弟として両家隔たりなく付き合う生活を親も子もしたそうです。また、男女児関係なく拾い親の風習を行う所もあったようです。

 

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)