まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月も引き続き産後のことについての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。

 

産後の忌みと出産児の儀礼(忌明けから宮参りまで)-4
「1.宮参りへ出かける前の朝の用意」

 今は「宮参り」と言いますが、昔は、宮参りとは言わず「ゆみあけ又はいみあけ=忌み明け」と言っていたそうです。男の子は出産後30日目、女の子は31日目を『忌み明け』と言って、この日にお宮参りに行き出生児は氏子となり神様の戸籍へ記載されるようです。

 ついては、母親の忌み明けは45日でした。歴代の松原の旧家に生まれて、しきたりの中で育ち同じ松原に嫁いだ大正前期に生まれた女性の言葉に「親も家から外に出てはいけないのはこの日までのようでしたから、「親の忌みあけ45日(おやのいみあけ、しじゅうごんち)」と言いながらも親はこの日を仮の忌み明けとして、親は子の忌み明け後も半月(15日間)は、まだ穢れが解けてないので少しは外に出たり家の中で適当に身体を動かして日常生活に戻しなさいと言うところでしょうなぁ。けど、針を持ったり、かまどの前に立ったりする事はきつう叱られました。(縫い物や台所仕事は厳禁であった)」とあります。また、「里での枕あげ」といって宮参りの帰りに実家に立ち寄り、15日間は母子ともに実家で生活する家もあったと聞いています。

 宮参りは「夏は午前9時過ぎ、冬は10時頃、お天道様(太陽)がしっかり上がってから、でかけたようです。今は紅筆などで男は大、女は小と赤で額に書きますが、私等の時代(大正から昭和初期)は鍋墨で書きました。どちらも(太陽が上がって行動すること、鍋墨で書くこと)魔除けですわなぁ。それとお宮さんへ持っていく餅には食紅で男の子は大、女の子は小と書きました。男は大きく、女は小さく育てよと言う事でっしゃろか」との語りでした。

 宮参りの方法と順序は、まず、朝にとりあげばあさんが来て出産児の頭の産毛を少し残して剃るそうです。皮膚を痛めると言って俗信が廃れどんどん剃らなくなり、現在は消えていると思います。松原以外ですが現在の60歳代以前の人からは『産毛をそると濃い毛が生えると言って髪の毛があまり生えてない子は剃ったとか、剃れば良いと聞いた』との回答を多人数から採集しています。さて産毛を少し残す理由は、井戸や便所などに落ちた時、これはどこそこの子だとすぐに判ってあの世に行くところを産神様が連れ戻して、現世へ返してくださるからだそうです。剃った産毛は、辻に捨てたと言う人もいますが、古いことであり、すっかり消えた俗信であるため、儀式的部分の採集は出来ていません。参考ですが、私(1943生)の子供時代の京焼き這い這い人形や男市松人形の髪型は産毛を少し残していました。但し同じであったかどうかは不明です。

 次に産婦の実家がこの日のために色々なものを用意しました。
1、 宮参りの着物。この時の着物は『六日だれの名付け』は一つ身の着物ですが、『忌み明けの宮参り』は三つ身を着せたそうです現在市売されているものは四つ身です。三つ身の下の産着は『六日だれ』は麻の模様の産着だが、この時は男も女も『紅絹』(もみ)の着物だったと思うとの語りを(大正前期生まれ)を採集していますが反対の語りも採集している。(六日だれが紅絹で宮参りが麻の模様)
2、 一升餅。餅は食紅で大または小と書き、一升を同じ大きさの鏡餅に二つ作り、重ねで持ってくるが、神社で渡すときは横に二つ並べて差し出すのだそうです。
3、出産祝いの返礼に男子は小豆(あずき)、女子は大豆(だいず)を配るそうですが、祝いを頂いた軒数と頂いた品の格により一升袋や三升袋に入れて配る量を用意したようです。

ちょっと説明

・女児は七五三の時三歳で四つ身、五歳は男児のみ、七歳で小本裁ち、十三参りで本裁ちを着ました
お七夜(六日だれ)に紅絹の一つ身を着せ、お宮参りは、夏は麻か木綿、冬はネルで麻の葉模様の三つ身をきせたようです。

・宮参りの儀礼は多いいため4-1(宮参りへ出かける前の朝の用意)と4―2(宮参りへ出かけるところから帰宅して悦びの宴まで)にわけました。ご了承下さい

 

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)