まつばらの民話をたずねてへようこそ

松原で生まれ育った、昔から伝えられる民話をご紹介します

 

墨の江街道の民話と松原‐17  松原の民話 第140話(2012年12月)

墨之江街道近郊の人達から聞いた心の語り行基(2) 

1.行基民話を生みだした昭和の生活

((採集)平成に変わった頃。高齢者が夫を自宅介護する会。手芸ボランティア先で採集)

 松原の行基民話は、おりにふれて書いている通り、時代や年代に関係なく行基様に出会ったと語る経験談の語りがありました。

 この御話は、昭和20年代も終わりの頃、松原は人口も少なく、田畑と池ばかりの頃の事でした。たしか小学校4年か5年生の時、母と共に、親戚に不幸(葬式)があって、そのおよばれ(招待)の帰りの出来ごとです。

 話の内容は子供が疲れと空腹で辛(つら)かろうと、重箱に詰めてある巻き寿司を食べさせました。ところが、家へ帰って姑にうっかりと隙間を隠すこともせず、渡してしまいました。すると、その隙間に秋桜の花が入っていたのです。それが出来るのは行基様しかない。と母親は周りの人によく語っておりました。聞く人は同じ人が多かったけれど、聞くたびに「それは良い事をした。どのように言われようと、子にひもじい(空腹)思いをさせたらあかん」と母を褒め「行基さんは分かってくれていた」と誰もが付け加えていました。

 そのような友達を持つ母でしたから、何か事あるごとに、御願はもとより、悩みや喜びがあれば、行基様の所へ一日かけて周っておりました。母の歩くルートは、まず、先祖の墓へ行き、次に天美許曽神社、高野橋を通り、狐山を通って行基様のお墓へ水と道端で摘んだ花を供えると、行基橋を渡って(注1阿坂の墓(あさかのはか)の行基様に手をあわせ、八幡様や道筋にある(注2御地蔵さま、小さな祠などに手をあわせて帰りました。小学校の私には長い道のりでしたが、普段見る事のない母のゆっくり穏やかな姿をみると、疲れよりも、うれしさと楽しさと、力強さ感じて、母の手をしっかりと握って歩きました。(行基七墓参りとは道順等関係ありません) つぎのお話は、こうした生活の中で生まれた『母と行基さまと(注3秋桜と私』の御話です。  

(注1)阿坂の墓…現浅香の墓(堺市)。現阿坂の墓(松原市)。聞くところによると、地域の合併で、ここの墓地も堺市と松原市の二つの市に所属することになりました。松原市我堂地区の住民は死後、行基さまのお墓に入りたいので今の墓地から離れるのは嫌だということで色々な問題をクリアして、行基さまのお墓を守ったと聞いています。

(注2)松原の道標は、石柱の他に、地蔵道標がありました。今も道端や寺の横、墓などに保存され、地域の人を守っています。胴や頭部が欠けたお姿や、高さ30センチ程度の石柱が邪魔にならぬように道端に、置かれている道標にも出会う光景は、当時の交通量の多さを示すように現存しています。地方の古代道を持つ松原ならではの事と思っています)

(注3)秋桜…コスモスの漢字表現は、絵のような美しい花ではなく、雑草の中や野菜の畝の下で踏みにじられ、身の丈をよじらせて生えている背の低い栄養不足の秋桜です。

2.母と行基様と秋桜と私

(語り手と採集日は、上記の語りにおなじです。採集ノートを土台に、再話したものです)

 昔はなぁ、結婚式と葬式はどことも地域の者や親戚達が集まって、それなりに盛大に送ったものだした(でした)。

 ある日の事。葬儀帰りの親子は、秋晴れの大きな釣瓶落としの太陽が、時を待たずして闇をつくり。一休みした田井城の神社から高見までは、神社の傍にがっしりとした旧家と寺が、ばらばらとあるだけで、家はなく提灯を借りずに帰宅した事を悔やみながら、やっと高見の神社さんへ着きました。母親は腹をすかしただろうと、娘のために、星の光を頼りに葬儀土産の、重箱を開けてみると、里芋、牛蒡、人参などの煮ものに、ばら寿司、小魚など、なかなか立派な重詰めでした。
 それを見た母親は、重箱の端にある2本の巻き寿司を、突如、実家の母親にも食べさせてあげたい思いがつのりました。けれども子供を連れていては時間がたち、とても祖母(母親の姑)に寄り道を悟られずに家に帰る事は難しい事でした。
 そこで、母親は娘に重箱の巻き寿司を一本持たせ「お母ちゃんは必ずここへ帰って来るから、絶対に動いてはダメだよ。ゆっくり食べながら待っていなさい」と言うと、その場から走って消え去りました。

 懸命に走って実家にたどり着くと、激しく戸をたたく音に驚いて出てきた実家の母に抱きつき,意味なく大声で一瞬ながら喚き泣く(わめきなく)と「およばれで貰った寿司やねん。食べてや」と母の懐に押し込むと、声の余韻だけ残して、暗闇の中を引き返して帰りました。
 その頃はまだ、嫁の位置が低かったもので、無言でも親子共々、心は十分に伝わり、慰められ受け答えとなって伝わったのでした。

 こうした母親ならではの芸当で、娘のもとに帰った時、娘はよほど疲れていたのか、寿司を持ったまま寝ていました。娘は母親のゆり起しで、目を覚ましたものの、母親にアルミニュームの水筒を首にかけてもらうと、ごくり、ごくりと水を飲み「なんだかわからないけど(注1狐につまされたみたい」と言って、母親にもたれかかるようにして家へ帰ったそうです。

 帰る道、道、母親は娘に、「お母さんも狐につまされていたの」と言って、母親は娘に御話をしながら帰宅したそうです。そのお話とは、狐が母を呼ぶのでついて行くと、(注2よしな菊が沢山植えてあってね、お母さんはそのお花作りのお手伝いをしたの。とっても楽しかったので、いっしょにお花作りをしようと思って、迎えに帰ると寝ていたの。それで、ハッと思って気がつくと母も狐の世界からここへ帰ってきたのねって笑っていました。

 ふたりで家へ帰るとおばぁさんが「遅い」と怒っているので、あわてて母親が、およばれのお土産を広げて渡すと、巻き寿司の入っていた所に秋桜が詰まっていました。それで、二人は狐につまされて娘は神社で寝かされて、お母さんは畑仕事をさせられた。って、言うと、なぜか、すぐに許してもらったそうです。

 けれど後で、母親は子供にこっそりと言いました。狐につまされたのも、秋桜も、行基様の「お助け」だよ。この御蔭はわすれないでいような、って。不思議な二人の秘密です。

(注1)狐につまされた。…狐に暗示をかけられてもう一つの世界へ行ってしまった事。

(注2)松原民話の花。よしな菊…よしなが狐と知れ信太の森へ帰る道、落した涙の花。

 

  大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)