まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月も死についての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。
 

第109回 死-19 

1、墓地の火葬の仕方

(語り手、採集日。昭和50年代を中心の採集メモを拾い集めました。)

 夕方になると、火葬が始まります。昼間に迎え地蔵、蓮台など地域によって異なるが、置かれた棺桶を火葬することになります。火葬をする人は同行の組織がある頃のことですから、同行組織のしきたりで行いますが、(同行や肉親及び死者に近い人や火葬の専門業者によって行われていたようです)これらの経験者が少なくなり、採集していてもほとんどが子どもの頃で、実際にとりおこなった人がいなくなり、『人の死』の儀礼は村落共同体で、親戚・仲間(同行など)などでとりおこなった経験者と出会えなくなりました。

○火葬場の無い墓での火葬(火葬場を作る)

 今はもう無くなりましたが、昭和の時代頃迄は、どの墓にも火葬場がついていましたが、無い所もありました。私はどこだったか、どうしてもお思いだせないのですが松原の火葬場で、白い晒布をまいた煙突を、昭和40年代後半ごろ見た事があります。それでしらべたのですが、やはり、死者が出た時に火葬場を造る方法があったようです。

 これは松原近郊のできごとですが、人をいとおしむ心は、大小あったとしても同じでないかと思い松原ではないのですが、その事例を出します。

[事例]

(語り手、墓の場所、松原の近郊で、松原行基七墓と同じく、河内行基七墓があります。大正前期は知りませんが、大正後期の時、高齢になると河内七墓を一度出回るのではなく、親戚の者とグループで、まわった事がある人に出会っています。その河内七墓の一つと言われる。墓の話。平成10年代後半採集。語り手当時70歳代。男性)

 そうですなぁ。やはりここで生まれて、ここで育ったものは、死ぬときはやはり行基さんのお墓にはいりたいのですわなぁ。このあいだそれで偉いもめましたんや。行基さんの墓がいっぱいになって、地続きの土地がないのですわ。それで、道を渡ってちょっと向こうに墓ができることになったのですわ。すると本家の者は墓がありますわなぁ。新しい分家になると墓を造らんならん。(造らなければならない)そこですわ。という事でいろいろな問題があったようです。そんなこんなで、火葬場の無い墓(行基さんの墓以外)へは行きたくない。って言うて、もめた話と、火葬場の作り方と、火葬の仕方をしりました。

 しかし、語り手は松原ではなく近郊です。

○火葬場の作り方

 つくる人は同行又は地域の人で作るらしいのですが、私は知識がないのでよくわからない。はじめに死体焼き場の土地面をつくって、9尺の丸太の棒がきっと煙突になるとおもいますが、立てられ、4本の丸太を立てて藁を巻いて屋根も作り筒型の中に入れるのだと思います。

 それから、藁で巻いたり、白い布でまいたり、屋根を造ったりとするのですが、説明を理解することができず、よくわからない。沢山の藁や薪、炭などが沢山必要のようでした。もうだいぶ前おしえていただいたのですが、同行の組織の重要を感じました。

 親戚一同で出来るものではないと思います。いま一つ一つていねいに理解するように何度もメモ帳を見て書こうとしたのですが、私には無理でした。わかった事は、一人の死に対して、地域の人達全員の協力が必要であろうと思った。もちろん人手もですが、藁や炭、薪の量の多さ。また人焼きは太陽が沈んでから焼き始めて翌日の朝に焼きあがっている状態のようです。夜中は、身内が見に行くそうですが、時々火のまわりを見に行って、棒でひっくり返しながら焼くのだそうです。一晩中お酒を飲みながら焼くのだそうです。

2、ちょっと余談。一口メモ [人が死んだ時]

 葬儀は人の一生の中でも、一番大切ですが、儀礼の復活をしましょうといって出来るものでもないし、葬儀の儀礼においても、業者へ行って教えてもらう事ではない。現在7、80歳代の人も業者に手伝っていただいた経験者がほとんどとなり、ここまではわたしたちでしたけど、ここからは業者にたのんで、してもらった。などと、なって経験者が急速にいなくなりました。原稿が書き終わったその日から次の採集にとりかかって、自分でも死霊がついたと思うほど「消えてはなら、じ」と、精力的に採集をしていますが、昭和40、50年代あたりの採集品の頁をめくる事が多くなりました。そんなわけで、あ!納棺では釘を打たない。鉄ものは使用しない。などが出てきてもその章は終了しているなど、しています。

 こうしたことから、書くことなく消えるだろうなぁと思う時、採集が間に合わず、書きそびれたこと残念に思っている儀礼を、「死と人の心」など『ちょっと余談、人が死んだ時』の項目を毎回入れることに致しました。『松原の人々の一生 第107回』から、シリーズとして入れますので、ご愛読下さい。 

 そのためこのシリーズでは、これはずうっと前の項目だとか、まだ先の項目だとか有りますが、この項目では、落ちこぼれた、落ちこぼれそうだ、「まさか」と思って書く事を拒んだもの。そうしたものを書いていきます。もちろん『逆戒名』など、今から戒名だけでも用意しておかねばと思っている、年齢の人達にも参考になる事に出くわすかもしれません。

○死を待つ者が大切にしていたもの

(話者昭和4年生まれ、男性の妹)

 兄は小指の爪を大切にしている。爪の根の所から5分(ごぶ。2cm)伸ばしているの。戦争に行っている時、皆、小指の爪を伸ばしているのだって。死んだときに、骨壺の骨の替わりに、爪を入れて、軍から親に送ってもらうのだって。戦地で、それを信じて大切に誰もが爪を鍛えて、磨いていたって。終戦後今でも鍛えて磨いているって。

 

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)