まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月も死についての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。
 

第96回 死-6 

1、松原の墓の特色 葬儀の準備・・・死から納棺まで(1)

1、松原の墓の特色

 松原の墓の特色は、墓には必ず六地蔵さんと焼き場がありました。

 古い村落の8、90代の女性達の回答からすると、お迎え地蔵さんがお墓の正面にいらっしゃって、六地蔵さんが屋根つきの箱型の中に六体並んでお墓にいらっしゃいました。そして、お墓には、人焼き場と呼ばれる、焼き場がありました。現在(平成23年)焼き場で、死者を焼いているのはA地区の墓ともう一墓(ひとはか)の二か所と聞いていますけど(迷惑をかけてはいけないので場所名は省きます。)他はどことも大阪市の平野(ひらの=地名)で焼いてもらっていると聞いていますが、お墓の事ですから、そない(追求して)聞けるものでありませんので、まちがっていたら、かんにん(ゆるして)です。との回答でした。

 また、行基七墓といって、松原には行基さんがお造りになったお墓が七墓あります。この部分はインターネット「松原の民話」で河内行基七墓と松原の行基七墓の場所や行基のお墓に関する事で松原の人達と行基墓のかかわりを平成20年度から21年度にかけて民話第92話から第95話4回連続他、諸所に書いておりますので、ここでは省略いたします。

 また、お墓のことですので、見学で迷惑や不謹慎は無いと信じますが、もしあってはいけないので、場所は申せませんが、きっと無意識に通過している場所にこうした特色と、そういえば、なぜ墓場のごみを焼くのに、なんで、あのようなずんぐりむっくりの煙突なのかしらと、不審に思った記憶のある人もいらっしゃるのでないかと思います。

 さて、話は変わりますが、現在80歳代後半から90歳代の方々を中心に葬儀の採集確認をしていますが、私が若くて相手の心根より次代へ受け継ぎ、残さねばと意気込み採集をしていた時代、この方達の年齢は、4、50歳代の人生最高の働きざかりの人達で「そんなこと聞くものでない」と叱られつつの採集でした。しかし現在、同じ人からの採集で「あの頃は隣人(となりびと)あっての自分だった。生かし生かされての生活だった」と目を細めて語って下さいました。私は戦争が日本民俗の内面をごっそり持っていったと思っていましたが、そうではないことに最近気がつきました。松原に「文明開化と(注)やたけ」の民話がありますが、この年代になると毎日が文明開化(IC開化?)になりました。そして若い頃のような「残さねばならない」意気込みよりも、IC開化の中でも日本民族の心は、時代を超えて月日が流れ、形式が変わっても、受けつながれると信じるようになりました。

(注)やたけ・・・一休さんのとんち話とは少し違いますが、九州では「きっちょむさん」。四国では「とっぽ話」に類し、物事をオーバーに話すが笑って許せる話をする人を「やたけ」「やたけた」と言います。笑い話に属しますが、世相を突いています。インターネットの「松原の民話」でも活躍します。二上山から文明開化の国アメリカへ渡った男の話等。

2、葬儀の準備――死から納棺まで

 『死』の判断が下りると、同行(どうぎょう)と呼ばれる組織が、手早く動いて進行して行きました。この組織は、前回も書いていますが、土地に生きる先祖達が民俗風習の中でつくり上げた隣組的な葬式の互助会組仲間のような人達です。親戚の者達は、喪中の用意でご飯炊きや紙貼りなど仏事の用意にかかりますが、同行だけで手早く別の部屋でしなければならない仕事がありました。身体調べと納棺です。これが終わると通夜となります。

 昔、昔のことですが、村落には村落の掟(おきて)がありました。掟にそむいた者は村八分と言ってその家は村落共同体の中から阻害されても文句の言えない掟がありましたが、火事と葬儀はその掟が外されました。人の死とは、私が思いますには、「人間は誰でも最高に尊ぶべき存在であるから、人の死は村落をあげて誰もが厳粛に行わなければならない」とした精神が何事にも勝って第一に掲げられていたのでないかと採集して思いました。

 こうした精神が、末期の水から通夜までの村落の人々の手早い動きの中にありましたし、通夜までの手早い仕事が出来てはじめて村落の嫁であって、出来ないものは資格がないとされた唄が松原にはあるほどです。
 松原市松寿園もの知り副会長と呼ばれる女性によると♪♪前唄略/衿もおくみもようつけん/そんな嫁ならいんどくれ(かえってくれ)/いぬもいなんも(帰るも帰らないも)道知らん/後唄略。教えて下さった女性の話では、村の葬儀の手伝いで、衿もおくみも縫う事の出来ない嫁では、村の葬儀の時は役立たずで、迷惑をかけ、恥ずかしい事だ。そんな嫁さんではだめだ。出直して来なさい。という意味だそうです。
 ちなみに死者の旅立ちの着物は、手伝いの人数にもよりますが、二人以上で縫います。白のさらし木綿を一反渡され、てんでに縫い始めます。誰かが背縫いを縫い始めると別の人はおくみを縫い、袖をつくり、衿を付ける。前身と後ろ身を併せると袖を付け、衿下、裾ぐけ、で出来上がります。死者の着物は縫う順番が反対になるように、手分けしてぬっていきます。縫い場所がかち合わないように相手の速度に懸命について行きます。常識として相手を待たす事もしません。
 これが出来るのは、毎日学校から帰ると仏壇に手を併せ、そこに置かれた運針布で縫う練習をさせていた親の躾おかげです。縫物が縫えない程度で?と思いますが、村落共同体の中で共に生きていける事、子を産み、子を育てる能力(元気で衣食が作れて、子供の病気怪我を即座に対応出来る事)は大切な事でした。

 

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)