まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月からは死についての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。
 

第79回 死への儀礼へいざなう道程-1 

(1)三大儀礼 (2)死の儀礼へ向かって

(1)三大儀礼

 人がこの世で生存するためには必ず男女の契りによって女性が出産し、やがて必ず死にます。これは記紀の時代から変わらない尊厳をもって高い位置において、人の一生における、誕生の儀礼、結婚の儀礼、死の儀礼として、人生の三大儀礼を人々は重要視してきました。

 つきましては、冠婚葬祭は、元服、婚礼、葬式、祖先の四つの祭祀をいいます。それにたいして、人生三大儀礼は「誕生(出産)、婚礼(ちぎり)、死(黄泉)」と私は分類します。私はまつばらの人々の一生を書くにおいて、どんなときでも常民(一般に言うえらい人ではなく、一般の生活者である落語に置き換えると、くまさん、はっさん達の世界に住む人達(「となり近所と知人縁者の苦労や幸せは、自分の苦労と幸せ。自分の苦労と幸せはとなり近所と知人縁者の苦労や幸せ」として生きる人々)を常に頭において採集してまいりました。 そして、活字で知ったものではなく、私が対面で、見聞きしたものをそのまま活字へ変換してまいりました。そうした中で、人はこの三つの節目を迎える試練を受けながらたどり着いている姿を書いてきたつもりです。

 人は誰からも祝福されて誕生しなくてはいけない。そのために神に祈り、仏に祈りして、契りをもった男女は神からの授かりをうけます。神からの授かりを受けた男女が七日目に、授かったあかしとして人間の名前を付けます。七歳までは神の子として、神と一緒に育てます。七歳になると神の子として育てて下さった証である産神(うぶがみ)さまの御札を返納して、氏神様の氏子となり、人間として独り立ちします。

 結婚(ちぎり)は、誕生から結婚までの道順と修行によって与えられます。その修行とは、勉強。生きるための職業や人との付き合い方等を通して、生きていく土台を作り、講や青年団などの組織の中で大人になるための教養や度胸、度量をつけます。松原では大峰さん、伊勢参りが有名ですが、他に仲間の前で、一人前の男の証しに「力石」を持ち上げて認められます。また、松原では明治、大正初期生まれの女性は、機織り機(はたおり)の技術は大切であったようです。こうした試練を受け、男女の契りを結ぶ事を世間から認められます。やがて、世間の多くの人達が、色々と世話をやき、ちぎりへの道を協力、援助指導をつけてもらい、結婚の儀礼を踏みます。この時、婚義へつながる道順をふまず、どれあい結婚(恋愛結婚)どれあいで子を授かる等の行動は、人の道に外れるとの考えがあって、親は早々に仲人を立て、見合いと同じ道順を踏んで結婚をさせます。また、親は「勘当」と言う処置で世間に頭を下げるなど、現代では理解出来ない行動もあったと聞きます。しかし、世間に対しての親心の掟なので、周りの援助で、勘当はとかれます。

 死は、一人前と世間が認め、子供の誕生や親の面倒も見る、家長の座に座る頃、子供を家長迄育てた親は隠居はんとして、これから続く人生を、掟をふんで、きっちりと生きていきます。やがて、神様から与えられた寿命をまっとうすると、黄泉の国からの御迎えが来て死が訪れます。これによって、この世最後の儀礼である葬儀が行われ黄泉の国への入り口の門に当たる墓が与えられます。こうして一生が終わります。これは実証されない事ですが、何年か経つと生まれ変わると信じられ、子供が出来ると「この子はきっとおじいちゃんの生まれ変わりに違いない」などといって喜ぶ姿もありました。

 義礼の急激な変遷と消失

 以上78回に渡って書いたように、人生の節目にある誕生、結婚の儀礼は終わりました。現在(平成22年)70歳前後から高齢の人達のほとんどが、「そうだったのよ」と若き頃を懐かしんでいただいたと思います。例えば結婚の章を事例にしても、結婚式前、生家と婚家の境界を表し、後戻りの出来ない境界線であった、桶に片足を入れて、生家を後にする姿や、黒地の裾模様の花嫁衣装である江戸褄(えどずま)の姿は現在からは消え、今は京都などの花街で、御正月のあいさつなどで黒紋付の羽織や黒紋付の裾模様の着物を着る風習が残っているに留まっています。晴れ着は黒、喪は白の時代は消えています。
 ちなみに昭和18年生まれの私の婚礼の荷の中には、正月用の黒の羽織と道行(結婚後礼装の時数回使用しました。)それに私の死に装束として白の身丈の着物が入っていました。白装束は、今は、幽霊の着物としてお化け屋敷に、白装束の風習が残って、いるようです。ところで、時代とかたずけるか、流行、商業ベースと言うべきか、現在は白地の花嫁衣装も黒喪服も違和感も不自然さもなく疑問もなく現代の常識として通用するようになりました。

 以上のように、採集する私も、語りの高齢者も懐かしい儀礼が、現在(平成22年)では、戦前生まれの人達の経験儀礼が、戦後生まれの人達には、疑問視されるほど時代の移り変わりが早くなっています。葬儀の儀礼もまた、同様です。

(2)死の儀礼に向かって

 ちょうど今、私は昭和18年生まれの67歳です。精神的実感として、死の儀礼に向かって歩いています。そして、黄泉の国へ行くために一つずつ整理を始めています。仲良しの友と雑談になると、手足が動かなくなったらどうするか、墓は生家か婚家か、と黄泉の国へ行く準備に話の花を咲かせるようになりました。黄泉の国に行くために、越えなければならない試練に対して若い時のような挑み(いどみ)ではなく、丁寧に日々を生きていきたい。悔いのないように行動したい。人間関係のいざこざの中に入りたくない。残したい物の整理と、不用品の整理、とゆっくりと向かっています。それは、誕生から結婚までの過程と同じように、一つ、ひとつの試練をそして人生の一つ、ひとつの節目を通過して死の儀礼へ向かって生かさせてもらっています。次回は、人生の節目、厄(やく)です。

 

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)