まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月は結婚についての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。
 

第78回 結婚-16 (記紀と松原の結婚儀礼 

松原の三大儀礼「結婚の章」終了と「死の儀礼」へむかって

 結婚(結婚式から三日帰りまでの形式と様子、入籍、嫁入り道具についての嫁と姑の葛藤)について16回書いていますが、この結婚の章に至るまでに結婚適齢期(行儀見習いから見合い)婚礼(仲人、結納荷出し)を第47回から書いています。その前が成人として(女性の生理現象、夜這い、青年団)を紹介しました。これらを3年に渡って書き綴っていますが、採集者が女である故に他の儀礼と違って身近な採集が語り手側から積極的形態で集まり、採集資料のほんの一部でしか紹介出来ていないが、時代の流れから水面下で渦巻いた心の葛藤や、「まさかそんなことはなかったのでないか」と現在の常識では理解出来ない、不信感のあるものを次代へいかに継承、伝承すべきかの部分が残りますが、特殊ですのでまたの機会に紹介いたします。

記紀と松原の伝承儀礼結婚の対比の前に

 記紀と関係なく生活を営む松原の人達は日常生活の中で、儀礼や口承を1600年の歴史をもって受け継いでいます。特に反正天皇は五年と言う短期間の在籍でありながら深く市民の生活に浸透して現在の儀礼の基本が保たれています。

(注)宋書によれば438年倭王讃(履中)没し弟珍(反正)立つ。珍、宋に貢献し云々とあるが珍は反正天皇(はんぜいてんのう)と言われている。松原市柴垣に宮を構えた反正天皇は、倭の五王と言われた。現在(平成22年)70歳代の柴垣、上田、新堂地区、及び堺の御陵付近の人達は「はんしょう天皇」と発音する。

松原で何故記紀儀礼が今に残っているのか

 ところで、私の知るところでは、尊敬する新堂の故浅田のおばあちゃん(本人及び浅田家より氏名発表許可済み。但し迷惑を考えて生年、名前不記)は、知り合った昭和55年頃当時の生活様式及びお針物(手工芸)、伝承話は最高の記紀の松原伝承者であったと思っています。ではなぜ松原に記紀から続いた松原伝承が今の時代まで受け継がれたかの問題ですが、答えは簡単でした。浅田家へ行った時、真っ黒に焼いたミカンを見て尋ねると「あっこれか、とんど(正月行事)でやいてもらったのや。云々」。ススキのドライフラワーをみて「ああ、あれか、お月見の時な云々」。即座に返答が返ってくる。次代への受け継ぎをとがんばったのではなく、姑から嫁へ日々同じことを行い、次の代もまた同じことをしてうけとり、受け渡して年月を重ねて今の時まで儀礼が消えることなく行われているのだと思うのです。

記紀における婚姻儀礼と松原の婚姻儀礼

 結婚儀礼の記紀伝承が松原では生活の中に溶け込んで、今の時代までしっかりと残っています。例えば墨の江の乱の道。反正天皇が高見された地。高見の時女性に出会った伝承地。の伝承で知られる高見地区にある高見神社と反正天皇宮跡柴垣神社にまつわる「通い婚伝承」がある。地域の人々は「高見神社の神さんへのお参りは、日が落ちる前に行かないと、柴垣神社さん所へ通っていらっしゃるので朝までお帰りにならない」という。

(注)高見の地名は現高見の里。高見神社は建て替えにより女性シンボル瓦が私の見たところでは、一般の神社瓦になった気がしています。なお、この伝承は通い婚伝承ですが、反正天皇は丹比氏と深くかかわり、三輪山系神婚神話とタタラを描いた美原から丹南地区民話や丹比氏の丹比は蝮(タジ)も使用した阿保親王民話も含め記紀の時代を示しています。

古事記の婚姻譚三つの型と松原の婚姻

「日本の神話と祭祀」(有精堂出版)において坂橋隆司氏は古事記の中で婚姻譚を三つの型に分けています。この論文を参考に、三つのこの型を紹介して松原の人々が今の時代まで語り受け継いできた結婚儀礼を当てはめてみると

1、成年式型A 

 普通一般に民俗学で説く成年式の儀礼によって構成されたもので、苦行や試練を乗り越える儀礼を通過したものに結婚資格が与えられる。須佐の男命は「千座の置戸」を負わされて「髪と手足の爪」を切られきられ、高天原を追放され出雲の国で八俣の大蛇を退治する苦難を乗り越え、櫛名田毘売と結婚する。
 この形式は松原では大峰さん参りの苦行があり、青年団資格として「力石」を持ちあげるこれが成年式儀礼に当たる。大峰さん参りを無事通過して一人前とみなされる。また力石という重い石を両手でかかえあげるが、持ち上げることが出来ないと、後々まで力石を持ち上げられなかった男として陰口を言われる。力石は神社で保管している地区もある。

2、成人式型B

 異類婚姻譚に属す。丹塗矢神話。丹塗矢となって川上から流れて、厠へはいった美人の勢夜陀多良比売の富登をついたので比売が丹塗矢を持ち帰り床へ置くと麗しい男性となり比売(ひめ)と結婚した。
 これを異類婚姻とすれば、松原ではきつねとの異類婚民話があるが、私は丹塗矢神話を異類婚姻譚として考えず「山城の国風土記」玉依日売川遊びをしている時流れてきた丹塗矢を持ち帰り床におくと男の子が生まれる。この子が賀茂別雷の命だという。こちらの方を大切にしている。分析するとながくなるが、高見神社の伝承とつないでいる。この地区は鉄分が多く水も飲めないので弘法伝説もある。丹塗矢を火と考え、水と火の必要なタタラの集団を考えていること、女性が通い妻していること、美原の梵鐘集団等を重ねた考えを持っています。新羅の国にも丹塗矢神話と山城の国風土記を合わせたような伝承もある。

3、歌垣型

 古事記と対比している以上歌謡はたいせつとおもう。残念ながら、婚姻の意味不明の歌謡及び神事、仏事(仏事系で、神社で歌われた農耕民族歌。なもで踊りの唄)の歌を解読及び採集分類など途中にてまたの機会にて記述します。

  

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)