まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月は結婚についての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。
 

第77回 結婚-15 (女性と結婚 

女性と結婚

 人生の三大儀礼である出産、結婚、死の3儀礼のうち2儀礼が次回で終わり、今回は女性にとって結婚とはなんであるのかをことわざ、採集した女性の生きざま。等を書きました。最終回結婚-16では採集ノートからこれは書いていなければ、と思った事を書きます。結婚の後は、人生の最終の章、黄泉への旅立ちへ向かう儀礼へと進みます。結婚は1年と4カ月に渡って事例を含めて書いてまいりましたが、あらためて採集ノートを開くと、女性であるから特別の感傷もてつだってか、「これもかいておくべきだった」といった書きこぼれが多くありました。それほど結婚儀礼は女性にとって意味のあるものでした。なぜならば、人生のすべての根底がここに集約されており、この結婚儀礼を出発地点として女性が生きる本当の意味で人生の出発であるからです。

 男性は母の胎内から誕生した瞬間から、黄泉へ旅立つまで、父母とその周りの肉親縁者が一生を通じて変わることなく関わりを持って人生を歩んでいくのに対して、女性の場合は、母の胎内から誕生した時、男性と同様に父母とその周りの肉親縁者とのかかわりを持って生きていく事には変わりはありませんが、結婚の儀礼を境として、これまでとは全く別の世界で生きていくことになります。今まで他人であった人が父母となり、その周りの、縁のなかった人達と夫の縁者が婚儀を境に妻となった女性の縁者となって、深い関わりをもって生活が営まれるようになります。そのいっぽうで、婚儀前の母は、産みの母となって、一線が引かれます。同様に両親や妹達肉親縁者を実家の妹と言うように、実家の何々という呼び方となり婚家と実家の区別と一線の開きがなされます。

 『女三界に家なし』という言葉がありますが、女性の自立が阻まれていた時代、女性がいかなる辛苦にも耐えしのんだ原因はここにあったと思われます。

(下記は『女三界に家なし』の説明にぴったりと思い『自宅で介護をしている人達が集える場所をといって集まっていた場所で採集』したノートより抜粋したものにすこし私見と言葉を加えて記述しています。)

――結婚を境に産みの親に育てられた家を出るとき、実家の敷居の外で桶に片足を入れて女性は家を出ていきます。これは産湯をつかう事を表すそうで、実家で生まれた時は家の中で産湯をつかいましたがこの時は、外で産湯(片足を桶につける儀式)を使っています。これは、私はもうこの家のものではありません。この家を出てから婚家の生まれになります。と言う事だそうです。つまり婚家へ行って生まれて生きていくことを表すのだそうです。もう一方の足は黄泉の国つまり死へ旅立つ時に、桶に足を入れてもらいます。つまり死者の国へ行って生まれ変わることを表すのだそうです。採集ノートによると三界とは、自分が生まれた家の世界、黄泉の国つまり死の世界、あとひとつは結婚によって与えられた世界だそうです。もちろん婚家がじぶんの家となっても、手足を伸ばせる家になるには長い道のりがあります。だからといって、婚家が辛いからと言って生まれ育った家に帰りたくとも、桶に片足を入れたので、帰ることはできません。もう一方の足は入れていない場所があるが、そこは帰る家ではない。帰る事は死を意味するのです。結婚すると婚家しか帰るところがないが、そこは夫の家で、夫の気持ち次第で帰ることのできる家。となる。よって、心身ともに癒すべき家は女にはない。――という話を採集しています。

 ついては、女性が婚儀前の生まれ育った家を、実家の他に『里(さと)』とも言いました。

 どちらが一般的に使用していたかと申しますと、戦前生まれの人は『里』のほうが多かったと思われます。いつのころか周りの人からデータをとっていませんが平成22年で、65歳以上の女性に不特定多数に声をかけたところ、「里、なつかしいなぁ 忘れていたわ」の返事がほとんどでした。このことからみて、里の言葉がすたれて実家の言葉がどんどん使用されるようになったのでないかと思っています。私は『実家』は社会的交流の中で使用し、『里』は夫側の多い席や、実家を表に出した話をするときは『里』を使用するよう心がけています。

 戦後生まれの人達では、もうすたれてしまった言葉ですが、『お里が知れる』と言う言葉があります。これは、いくら上品ぶっても、その人物のしぐさなどで、その人物の家柄や子供の時からの躾がわかるという意味です。そのほかに、生まれ育ちが貧しくても富豪の家へ嫁ぎ、豊かな生活が出来るようになったと喜ぶこともあります。それを一般に『玉の輿に乗った』と表現しました。

 しかし女性の幸せは、お金があるからで決まるものではない事を誰もがよく知っています。それゆえに『結婚は分相応が一番』という言葉があります。

平成20年、ボランティアをしている手工芸教室にて、82歳の女性。

 「女はなぁ、どんな貧乏でも耐える事が出来る。私は貧乏のどん底も見た。亭主の借金で寝る間も惜しんで働きもした。質に入れるものもないのに、タンスを広げてボロ出して、なんもないとわかると、金を出せの、金を借りてこいの、と言うて、殴られもした。私は亭主がなくなるまで地獄は全部見てきたと思う。けどな、女には耐えられる地獄と耐えられない地獄がある。とのこと。「女はなんでも辛抱できるように出来ている。けど一つだけ辛抱できないものがある。その辛抱できない辛抱をしてきた。それは女や。私は亭主を中にして川の字で寝る生活もした。つらい修行やったぁ。けどな、亭主は、私の家で亡くなりました。いろいろあったけど、これが私の誇りですわ。と言って笑っていた。夫婦とはよくわからない事がたくさんある。そして結婚が見合いから始まって結婚に至る多くの儀礼があることの意味もわかる気がしました。

  

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)