103.戦争遺跡の日露戦争碑

 松原村碑布忍村碑

三宅村碑天美村注連石

日露戦争碑 
上左:松原村碑(もとは西向き)、
上右:布忍村碑(もとは布忍小学校に所在)、
下左:三宅村碑(もとは屯倉神社西南隅の行者堂西側に所在)、
下右:天美村注連石

大国ロシア軍と戦った各村兵士たちの記念碑

 2005年は、日本がロシアと戦った日露戦争がおこって100年になります。明治37(1904)2月に勃発し、38年(1905)9月のポーツマス条約で日本が勝利しました。
 世界の二等国とみられていたわが国が大国ロシアを破ったことで、世界は驚き、日本中はわきかえりました。このため、全国の町や村では出兵した軍人たちの功績をたたえるため、彼らの名を刻した記念碑が建てられたのです。先の日清戦争では碑の建立はなく、昭和の日中戦争やアジア太平洋戦争でも忠魂碑はみられましたが、個人名は記していません。
 今では、日露戦争碑は貴重な戦争遺跡として、研究対象となって、全国的にも保存がはかられています。市域の村々でも建立されていますので、以下に紹介します。
(一) 上田1丁目、阿保茶屋交差点南西側…中高野街道と長尾街道が交わる広場に建っています。表面上部に「日露戦役紀念碑」「松原村出征軍人」と横書きしています。その下に、松原村(上田・阿保・田井城・高見・新堂・岡・立部・西大塚・西野々)の兵士を戦死者2名を筆頭に124人の名を記しています。左端に「明治三十九年五月建立」とあります。
(二) 北新町2丁目、布忍神社…表面に「日露戦役記念」と書かれています。裏面に横書きで「明治参拾七八年戦役紀念碑」と記し、その下に、布忍村(向井・清水・更池・高木・東代)の兵士を所属ごとに歩兵科29名、砲兵科6名、工兵科3名、輜重兵科25名の計63人の名を記しています。うち、6名が戦死しました。
(三) 三宅中4丁目、屯倉神社…表面に「日露戦役紀念碑」、裏面に「明治三十九年五月建立」とあります。台石の各面に三宅村から出兵した戦死者4名を含む43人の名が記され、世話人10名や堺の石工の名もみられます。
(四) 大阪市東住吉区矢田、阿麻美許曽神社…拝殿前の一対の注連石表面に「神威藍四海」「誠貫天地」とあります。側面に「日露戦役従軍紀念」「明治四十年十二月八日」「陸軍中将男爵茨木惟昭書」「社司若宮春隆」と記します。裏面には天美村の氏子の油上6名、池内16名、芝5名、城連寺5名の計32人の名がみられます。戦死者の表記はありません。
(五) 堺市美原町菅生、菅生神社…表面に「日露戦役従軍紀念碑」とあります。裏面上部に「陸軍歩兵小佐従五位勲四等大村屯書」「明治三十九年四月建立」と記し、下部に「発起人氏子」として、市域丹南が含まれる丹南村38人、河合が含まれる北八下村43人が南河内郡の他村と並んで刻まれています。
 従軍者名を明記したこれらの碑から、国民が一丸となって、ロシアと戦った歴史的事実が読みとれるのです。