116.両替屋を営んだ清水村庄屋

木下家住宅両替許可証の木札、分銅・天秤

木下家住宅(南新町6丁目)と
両替許可証の木札、分銅・天秤(木下家蔵)
 現当主は18代にあたり、
住宅左側の奥座敷に入る玄関の板間には、
魔除けと考えられる大甕が古くから置かれている。

丹南藩主高木氏とともに三河から移住した木下氏

 布忍駅から西に長尾街道を歩いて行くと、古い町並みが見られます。南新町6丁目(清水町)の街道北側に融通念仏宗の宝泉寺(「歴史ウォーク」51)が建っていますが、そこを東に曲がった所に木下博行さん宅があります。
 木下さん宅には、享和3年(1803)・天保2年(1831)・天保4年・天保14年・弘化4年(1848)・安政7年(1860)など、江戸時代後半から幕末にかけての普請関係文書が残っており、増改築された様子がうかがえます。とくに、天保4年のものには7間取りの居室のうち、奥の5室の座敷が松原村新堂の大工新堂組によって造られたことが記され、その木札も所蔵されています。
 江戸時代、木下家は丹北郡清水村の庄屋を勤めていましたが、明治5年(1872)ごろまで、金銀と銭を交換したり、お金を貸し付ける両替屋も営んでいました。もともと同家は、三河(愛知県)刈谷の水野氏の家臣だったと伝えています。やがて、江戸初期に水野氏に従っていた高木氏に仕えるようになりました。高木氏が元和9年(1623)、1万石の丹南藩主として丹南に陣屋(「歴史ウォーク」61~65)を置いたことを機に、刈谷から清水に移ったといいます。
 清水村は当初、幕府領でしたが、宝暦9年(1759)から丹南藩高木氏の領地となりました。丹南藩は、もと武士であった木下氏宅を情報収集のための一拠点にしたともいわれています。
 木下家には、両替関係の書き付けや道具類が今も残っています。それらの文書を読みますと、近隣の庄屋や商人(とくに堺商人)だけでなく、丹南藩や市域をはじめ南河内に飛び地を持っていた館林藩(群馬県)・神戸藩(三重県)などの領主、法雲寺(黄檗宗、堺市美原区)などの寺院にもお金を貸していることがわかります。
 「丹南 御證札引替方」と記す両替許可証の木札や、藩札・書類を入れたと思われる「丹」と書かれた桐材の木箱もあります。もちろん、両替時に使う分銅や天秤も保存されています。
 許可証や木箱は、丹南藩関係の遺品が市域にあまり残っていないだけに貴重なものでしょう。分銅は、金銀貨をはかりにのせて天秤にかけ、重さをはかるおもりです。木下家には、20両・10両・5両・1両の分銅が残っています。これらは、京都の後藤家が豊臣秀吉によって保護され、製作したものです。豊臣氏の家紋である桐の紋、「後藤」や丸で囲んだ「今」「改」「丙」「寅」などの文字が見られます。
 なお、木下氏が寛文3年(1663)5月5日、氏神の布忍神社に武運長久や息災延命を祈って奉納した木札は、今も同社に保存され、本殿とともに大阪府指定有形文化財に選定されています(「歴史ウォーク」70)。