まつばらの民話をたずねて

松原の人々の一生

今月も成人の青春期から結婚までについての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。

第62回 青春期から結婚まで-16 

17、婚礼-(13) 婚礼の荷出事例と荷出しから老後までの女性事例 
 
婚礼の荷出し(平成6年と昭和47年その時代の新しい姿の荷出し)


昭和47年。旧庄屋筋の次男で住居は別宅。

 結婚式をホテルでしたのはこの村落では私達夫婦が初めてでした。荷出しはトラック。まず一番初めに紅白の30センチくらいの幅布で、一揃いのふとんを飾り結びで一つにまとめ、一番初めに積みました。この時代羽曳野の実家あたりでは松原のように「荷見せ」荷送りの「送り見せ」などの風習は消えていました。近所親戚と多くの人に見ていただく風習が残っている事は、この家に来てびっくりしたほどですから、実家の方では、ほんの少し、近い親戚縁者くらいの人にみてもらった程度で、荷送りもこちらへ来て、これ程に皆さんにご披露させていただくのかと、びっくりしました。

 トラックにお道具を積むのは、まずふとんを積み込みました。その上に、結納時の金銀水引細工で作られた鶴亀に譲渡姥の人形など結納時の品々を飾りました。つぎに、鏡台と洋服箱など色々なものを置いた上に、日本人形などを置いて飾りました。たんす等は次のトラックです。荷物の中にはお土産も、持っていきました。仏壇へのお供えと、家族へのお土産は今でも守られている風習と思いますが、その他は仲人さん、親戚筋へのおみやげを持ってきました。持ってきた荷物は、広間に、きれいに飾り並べて自由に近所親戚の方々に見ていただいたようです。

平成6年。中流家庭で住居は別宅。

 大型家具店展にて、電化製品も家具に併せて購入。家具店が紅白から垂れ幕総てを用意し総て飾り付けをして指定日にトラックで持参。各部屋の所定場へ置き、片付けて引き上げる。近所の人達が見学程度。

 以上の事例のようにどんどん簡素化されているようです。

 さていよいよ、荷物が婚家に入り婿入りとなります。そこで、採集した人の経済、格式などによって色々大きく違います。仕度も同じです。戦前まではたしかに娘が三人いれば家の身代潰すと言われたそうですが、大変なこしらえであったようです。

 参考までに当時の嫁入り支度は次のようなものでした。

 仕度の単位は「荷(か)」といいました。今で言えば、トラック何台のお支度だったというのと同じで、「まあどこそこの○○さんは七荷のこしらえであった。さすが元御庄屋さんだけのこしらえですわ」と言った形です。

一荷:箪笥一棹(タンスひとさお)、
軽三荷:タンス一棹と長持ち一棹です。(二荷ですが、二は二つに別れるので縁起が悪いので三荷と言い、前に軽を付けます。)
正味三荷:タンス二棹と長持ち一棹。だいたい三荷が普通のこしらえです。
四荷の四は「し」で死に通じるのでありません。
正味五荷、六荷、七荷とタンスと長持ちが一棹ずつ増えていきます。
これに三荷までは、鏡台と下駄箱を付けます。
五荷以上は鏡台と下駄箱に柳ごうりをつけますが、五荷以上は特別な家の御こしらえです。運ぶのは荷宰領と呼ばれる人が責任者で、かつぐ人は重たいので代わる代わるしてかつぐので、距離が長いとその人数は大分多いです。
仲人さんも付いていって結納の目録と確かめます。
荷物が着いた明くる日くらいに結婚式となります。結婚式の前に「婿入り」があります。

 しかしここに書いているのは、中流からそれ以上の人達の採集です。中には柳ごおり一つが嫁入り道具の人もあります。ここで書くのはやはり中流又はそれ以上の人が基本となります。そこであまり書かない生活事例の女性の事例を入れます。現代生活に併せて少し背伸びした所も伺えますが、訂正せずそのまま書いています。

荷出しから老後までの女性事例(大阪・昭和14年生まれの女性)

 整理タンス、和箪笥、蒲団箪笥のタンスの三点セットに綿箱、冷蔵庫、洗濯機、テレビを百貨店で買った。京橋なので京橋を一周回ってもらって雨だったので私は松原まで行かないで御祝儀をトラックの運転手さんに渡してそこから松原へ運んだ。
 結婚式は森の宮でしました。親戚まわりは着物を着て夫婦で挨拶回りをしました。姑は亡くなっていた。舅がいた。舅がいたので男二人に女の私一人の生活だったので、舅が気に入らない事があるとよく殴られた。陰で良く泣いた。炊事場でも(しょくじでも)べつにこしらえるでしょう。おじいさん根性悪うしても、まわりは兄弟(子供)ばかりだからおじいさんのかたを持った。お金が無くなる私が盗ったと言われた。食事も主人は会社に行くのでいないから。だんな(主人)は私をかばってくれた。わたしが行くところ無い事知っていたの。主人が亡くなった時全部形見分けして一回も着てないしつけ付けたままで。姉が辛抱せー。辛抱せー。言うて。今になるとよかった。

 

大阪府文化財愛護推進委員  加藤 孜子(あつこ)