第30回 村落共同体参入と講-1
まつばらの民話をたずねて
松原の人々の一生
今月も引き続き成人過程についての言い伝えなどを紹介します。例によって、俗信や生活習慣からくる非科学的や非文化的な行動など諸々の部分などふくめて、聞き取りした内容の中にはこんな事があったのかと笑える部分もあり、残念ながら笑えない部分もあり、人権上不適切な事項も多々あるかと思いますが、生活習慣風土が作った民俗のなせるわざとしてご理解下さいますようお願いいたします。
第30回 村落共同体参入と講-1
松原の人々と講
男子十三まいり「山上まいり」の項目の中で「講」に参入している者のみが十三まいりへ行くことが出来る。それ以外は十五歳、又は徴兵検査辺りの年齢となると書きましたが、この年齢は体力からの成人年齢のみでなく、生家の経済からみた成人年齢ともいえます。十三まいりの場合は親が「講」の掛け金を支払っている家庭の者で、大抵はその家の家督を相続する長男であるのに対して、一方の十五歳以後になって「山上まいり」をする者達の場合は幼くして奉公(就職)へ出たさきから、現在で言う福利厚生費で「講」を掛けてもらう方法など、自分の労働から捻出され、自分の意思で掛け金を支払った者が一般であったと思われます。
現在の日本経済から想像するには難しいことですが、戦前生まれの人達の十五歳は家庭の貧富による違いはあるものの、りっぱに親の家計を助ける事が出来たようです。親も子供の家計援助をあてにしている時代でしたのでこうした例は特別な例ではなかったようです。
「講」にはいると言うことは村落共同体の中で一人前の男として秩序を守り善悪をわきまえ自己責任がとれる人間として村落共同体の中で生きていく証でもあるようです。また十五歳に満たない子供達は出席出来るが、講儀礼を司ることはなく親(所帯主)を保証人とした形態、親の代理などの位置にあっと思われます。
講とは
本来の「講」とは仏教の教義、経典を教え広めるために、講を説き唱える集会を「講」と呼んだと聞いていましたが、私の採集ではもっと広い意味を持ち、本来の「講を説き唱える」を逸し、土着に根づいた村落独自の団結の持って複雑多様化されて、松原に根付いた講の説明に戸惑いました。そこで民俗学研究書編著、民俗学事典を開いてみると『宗教上の目的達成のために信仰を同じくする者が寄り集まって結成している信仰集団で、大きく二つに分類できる。一つは寺院神社宗派の教祖達が教団拡張のため氏子、信者達を組織し講の名を付けている。浄土真宗の報恩講、大社教の大社講。もう一つは村落の地域集団単位ごとに成立した地縁性の濃厚なもの庚申講、伊勢講。近畿地方を中心に関西に分布している宮座は神祇崇拝のため宗教集団であるが講と呼ばれている宮座講、春日講』とありました。これが「講」本来の形態であろうが、その土地の風俗慣習行事として土着化して根づく過程において、時代と共に生活環境をともなって変遷されていったと思われます。
ところで松原で拾い集めた「講」部分の採集を開いてみますと、端的に申しますと神仏信仰で結ばれた関係の講の他に、生活を補い合う経済互助から精神や体力のレクリエーション的要素をもつものまで色々あるが、土着の地縁性と団結の強さは、時代が古いほど強く、地縁の中で生きることはどのような事かを感じとれる複雑さと、どのように紹介すべきか迷い「講」の部分を入れる事自体に戸惑いがありましたが、自己判断で書きました。採集したものを出来るだけ、隠さず忠実に書いておりますので、心を傷つけるような事がありましたら、こうした時代があったとご理解いただき、広い意味で読んでいただきますようお願い致します。何度も申しますが、明治大正生まれの人達から採集したものが中心であることもご理解下さい。表現力が乏しいので使用を慎む言葉が入りますが、言葉以上に心の受け止がある単語と思います。ご理解下さい。この事例は消え去る心として紹介します。
(事例)明治二十五年生まれの男性の思いで『地蔵和讃の調べと母』
和讃講という「講」がありました。この「講」は天王寺あたりでまだ残っているようです。5、6年前知人と電車で出会ったとき「和讃講にはいっているから、和讃の練習に行く」という表現をされました。この和讃について次のような思い出を採集しています。
語り手が子供の頃の出来事です。ある日鈴(りん)をならしてて地蔵和讃を唱えつつ当時の言葉で乞食と呼ばれていた住所不定の人が家の入り口に立ちどまり家人からのお布施をいただくのを待っていたそうです。早速母親はお布施を施すと、やがて地蔵和讃を唱え始めたそうです。♪♪二つ三つの嬰児(みどりご)が西院の河原に集まりて/父恋し母恋し恋しくと泣く声はこの世の声とは事変わり悲しみ骨身を通すなり/彼の嬰児の所作(しょさ)とて河原の石を集め足りて/四方の塔を組み一重くんでは父のため二重くんでは母のため三重くんではふるさとのー♪♪と哀調をおびた節まわしで和讃を唱えるそのひとの調べに、語り手の母親が目を赤くして忍び泣きながらあの世へ旅立った子供のことを思い起こして和讃を聞いている姿をみて、語り手も貰い泣きをしたとのことでした。
女性の講
講には色々ありますが、事例のように「女性だからわかる」そうした「言わず語り」の部分を「講」と言う名の村落共同体行事の中で、癒しの部分として取り入れた女性の講の存在があります。こうした講も男性の講と同じく既婚者及び、単身者は当主に準ずる者で結成されていたようです。こうした女性の講には次のようなものがあり、 和讃講、観音講、尼講などがそれにあたると思います。友人仲間、村落の嫁仲間、村落の姑仲間、村落の嫁姑仲間などでグループを組み、持ち回りでご詠歌や観音経など講にあったものを唱えます。方法としては、夕食を終え一日の仕事を終了させて子供達を寝かしつけると、それぞれに当番の家に集まります。当番の家では仏壇の戸を開けて講の仏像や掛け軸などを出して饅頭やくだものなどを供え、講仲間のために持ち帰りが出来るように紙を敷き、その上にきりこ(あられ)、はじきまめ、菓子などを人数分用意して待ちます。夜になり仲間がだいたい集まると講に準じたものを唱え始めます。終わると出されたお菓子をみやげに持ち帰ります。講の開かれる日はそれぞれに定まっていました。
大阪府文化財愛護推進委員 加藤 孜子(あつこ)








